第五十七回 慈眼堂橋のいま

第五十七回 慈眼堂橋のいま

 

 

慈眼寺は青梅街道沿いに位置していますが、創建当時は現在地より北東部(今日における中野区中央二丁目。堀越高等学校の間近)に建てられていたと伝えられています。
具体的な年代は不明ですが、江戸時代に現在地へと移転したそうです。

残念ながら現在、移転前の遺構は発掘されていません。
しかし、桃園川緑道にかつての慈眼寺を示す痕跡が一つだけみられます。
堀越高等学校前の坂を下ってすぐの場所に「慈眼堂橋」と名付けられた橋があり、この間近にお堂が建てられていたそうです。

 

おおよその位置関係。

 

 

欄干に取り付けられた「慈眼堂橋」の碑銘。

 

 

 

北側から撮影した橋。

 

 

 

南側から撮影した橋。

 

 

 

 

桃園川は昭和四十年頃に蓋をされて暗渠(あんきょ)となり、今日では橋も川も共に遊歩道となっています。
かつては川沿いにお堂が建っていた光景を思い浮かべながら、ぜひ一度訪れてみてください。

 

 

慈眼堂橋の上から夕陽を望む。