この【氷川堂(ひかわどう)】では、慈眼寺第十四代住職:覺順和尚(かくじゅんおしょう)の尊像をお祀りしております。
尊像は和尚が遷化(せんげ)された万延元年(1860年)に造られたものです。
坐像から土台まで一つの石で彫られており、和尚自らが生前に石工の名人へ依頼して製作されたものだそうです。
旧葛飾郡にて生まれ、氷川神社(東中野)の別当職を務めていたと伝えられる和尚は、幕末の時代の人々から「氷川坊さん」という愛称で呼ばれ厚く慕われておりました。
今日も氷川神社の御手洗場の傍らにおいて、和尚が願主となった敷石供養塔をみることができます。
人々の為に精進していた和尚には、次のような不思議な言い伝えが残されています。
かつて皮膚病に苦しんだ和尚は、自身と同じように病に苦しむ人々を救うという誓願を立てました。
そして化膿した腫物を舌の先で舐めて治す等の奇跡的な徳行をされ、数知れぬ方々を救済したそうです。
和尚は「自身の死後、祈願の際は茶を、全快の際は白団子を像に捧げるべし」と言い遺し、八十四歳で遷化されました。
その後は尊像を納めた氷川堂に病気平癒を祈願する参詣人が絶えず訪れ、全快した御礼に絵馬を納める方もみられたようです。
そして時が流れた現在も、皮膚病・婦人病などの平癒を願う人々の信仰を集めております。
※尊像の側面には、和尚の足跡が記された碑文があります。