※第十回 ネパール参拝記録(1)からの続きです。
お釈迦さまの生誕地の跡地に建てられたマヤ堂の裏手には、このように大きな池が広がっています。
この池はお釈迦さまの生母・摩耶夫人(まやぶにん マーヤー)の沐浴や、お釈迦さまの産湯として使われたと伝えられています。
今日では綺麗に整備しなおされており、静かに水をたたえています。
マヤ堂のすぐ横には、大きな石柱が建てられています。
1897年に発掘されたこの石柱は、紀元前三百年頃に生まれた古代インドの王様・アショーカ王によって、巡礼の記念に造られたものです。
アショーカ王は北インドを中心に、動物の像を上に置いた石柱を数多く建立しました。この塔も、そのうちの一つです。
この塔の上には何も置かれていませんが、石が欠けた跡が残されています。
石柱の側面には「この石柱はアショーカ王が、即位二十年となった年に建立したものである。
この村はお釈迦さまの生誕地であるから、税金の額を八分の一のみとする。」といった旨の文章が記されています。
以上の文章は、この地がお釈迦さまの生誕地であることと、お釈迦さまが伝説上の存在ではなく実在した人物であることの証となりました。
また、『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった中国の僧侶・玄奘(げんじょう)三蔵の旅の記録『大唐西域記(だいとうさいいきき)』に、
今から約千四百年ほど昔、中国からインドへと旅をした玄奘三蔵が、道中「菩薩誕靈之處(お釈迦さまの生誕地)」として、ルンビニに立ち寄った際のことを記しています。
「上作馬像。無憂王之所建也。後爲惡龍霹靂其柱中折仆地。」
つまり、「(石柱には)馬の像が乗っている。アショーカ王が建てたものである。後に悪竜の雷鳴でその柱は中ほどから折れ地に倒れた。」というのです。
(東洋文庫『大唐西域記』二巻 水谷真成訳 P.291より 一部改変)
この文章に示される塔こそが、上の写真の塔であると考えられています。
かつては馬の像が乗っていたものの、玄奘三蔵が訪れる以前に、雷が落ちて欠けてしまったのでしょう。
ルンビニを訪れた際、ここでお釈迦さまがお生まれになったのかと考えると、感慨深いものがありました。
約千四百年も昔、自動車も飛行機もない時代。はるばる中国・長安からこの地を訪れた玄奘三蔵は、私以上に感慨もひとしおだったと思われます。
※ネパール参拝記録(3)へ続きます。