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第一三七回 慈眼寺境内案内 巴連(ともえれん)の石碑
慈眼寺境内のイチョウの木の下・氷川堂の右奥には、「獅子巴連(ししともえれん)解散記念慰霊碑」と銘打たれた石碑が建立されています。 巴連とは、明治三十年代、江戸火消し
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第八十回 芸術の秋 【小説:『落花 らっか』】
毎年秋、当ブログでは仏教にまつわる様々な芸術作品をご紹介しております。 今回ご紹介するのは、高名な真言宗の僧侶:寛朝(かんちょう)僧正が主人公となった
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第六十回 氷川坊 覺順の史跡
境内のイチョウの下に建つ氷川堂(ひかわどう)には、「氷川坊さん」と呼ばれた慈眼寺の第十五代住職、覺順和尚(かくじゅんおしょう)の石像が奉られています。 この像は万延元年(1860
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第五十七回 慈眼堂橋のいま
青梅街道沿いに位置する慈眼寺ですが、創建当時から現在の土地に建立されていた訳ではありません。 江戸時代に移転する以前は、現在地より北東部(今日における中野区中央二丁目。堀越高等学校の間近)に建
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第二十七回 芸術の秋 …敦煌(とんこう)巡礼記録 (おまけ)
暖房が不可欠な寒さが続いている、今日この頃。 「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」など、さまざまな形容詞が付けられる秋ですが・・・ 今回は「芸術の秋」に焦点を当て、しばらく連載していた「敦煌巡礼記録」に交え、1988
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第十九回 写真にみる慈眼寺の歴史(旧本堂写真の発見)
先日、図書館で調べものをしていたところ… 昭和八年(1933)に発刊された『中野町史』という本の中に、慈眼寺の旧本堂についての記録と、その姿を残した写真(上記参照)が掲載されているのを見つけま
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第十七回 絵にみる慈眼寺の歴史
「慈眼寺の歴史」のページでも述べましたとおり、慈眼寺は室町時代の天文十三(1544)年、今日における中野坂上駅方面・堀越高校の隣りに創建された寺院です。 その後江戸時代になってから、今日における新中野駅近く・青梅街道(お