第六十回 氷川坊 覺順の史跡
境内のイチョウの下に建つ氷川堂(ひかわどう)には、「氷川坊さん」と呼ばれた慈眼寺の第十五代住職、覺順和尚(かくじゅんおしょう)の石像が奉られています。
この像は万延元年(1860)に彫られたもので、「病気に苦しむ人々を救いたい」という覺順和尚の生前の願いによって造られたとも、覺順和尚亡き後に信者の方々が造ったものとも伝えられています。
覺順和尚が「氷川坊さん」と呼ばれた理由は、東中野氷川神社の別当職を勤めていた由縁があるためです。
この「別当職」とは、明治時代以前に神社を管理していた僧侶の役職です。
(明治時代の「神仏分離令」によって、現在この制度は廃止されております。)
今日、東中野氷川神社の手水舎手前にある石碑に、その微かなよすがを見ることができます。
敷石供養塔の下に目をこらすと、「願主覺順」という文字が掘られています。
(一見「須」という文字にも見えますが、書き癖によるものかと思われます。)